目指すはNBA。世界中の子どもたちに夢を与えられる選手に

Athlete # 04
プロバスケットボール選手
伊藤 邦茂

マイケル・ジョーダンを追い求めて

中学1年生のときに、なんとなく入部したバスケットボール部。母親に勧められて初めて画面越しに観たマイケル・ジョーダンのプレー。情熱を傾けるものを探していた少年の心に、一瞬にして火がついた。

「僕も、この選手みたいになりたい!NBA(アメリカのプロバスケットボールリーグの最高峰)の選手になる!」

こうしてバスケットボールプレイヤー・伊藤邦茂は誕生した。

失敗しても挑戦したことを認めてくれる両親の元に育った影響か、伊藤には物事を肯定的に捉える習慣が身についている。それゆえ、「諦める」「不可能」といった発想がない。中学校のバスケットボール部は弱小。なのに伊藤は「僕はNBA選手になる」と公然と宣言していたという。当時は、バスケットボールを始めたばかり。周囲は冷めた反応を示したが、「当時も全く気にしてなかったですね。周りは関係ない、僕自身のことですから」といたってクールだ。そんな状況においても、バスケ部の顧問の先生だけは伊藤の言葉を信じ、正面から向き合ってくれた。

「練習のときのアドバイスもそうでしたし、僕が3年生になる前に顧問の先生が異動することになって、異動前の最後の試合では、僕のためだけにタイムアウトを取ってくれました。他の選手をコートから出し、僕だけに真剣に指導してくださって。きっと、他の部員からすれば『なんであいつだけ』とおもしろくなかったかもしれません。でも、僕はそれを気にするより、何が何でもバスケが上手くなりたい気持ちの方が強かったんです。顧問の先生には今でも感謝しています」

伊藤の真っ直ぐな熱い想いが教師の心を動かし、通常はしないであろう「ひとりの生徒を優遇する指導」に向かわせたのだろう。

人と同じことをしていたら、それ以上には上手くなれない


プロバスケットボール伊藤邦茂選手

進学した高校のバスケットボール部は活動停止状態にあった。母親と一緒に顧問の先生に指導を依頼すると衝撃の一言が。なんと「部活動をしても、先生は給料をもらえないんだ」と言うのだ。

「このときばかりは『学校や先生に頼ってもダメなんだ』と諦めました。だから独学で高校時代を乗り切ろうと覚悟したんです。幸いにも、高校の裏の公園にストリートバスケットコートがあったので、毎日そこで練習をしていました」

高校卒業後はアルバイトをしながら上手な選手を探し、さまざまなクラブチームを巡った。そして2年ほど経ったとき、日本初のバスケットボール専門学校が大阪に設立されると知ると、伊藤は迷わず入学を決めた。だが、意気揚々とバスケットボール三昧の生活を夢見るも、現実は厳しかった。伊藤とは違い、子どもの頃から恵まれた環境でバスケットボール選手として育ってきたライバルたちとの力の差は歴然。襲いかかる絶望感に打ちひしがれた。しかし、アメリカでバスケットボールをしていたチームメイトと一緒にトレーニングをしていたとき、伊藤はあることに気づいたという。

「彼を見ながら『彼より上手い選手がアメリカにはたくさんいる。NBA選手になるには、彼より上手くならないといけない。だとしたら……、彼と同じ練習だけをしていては、僕は彼より上手くはなれない』と思ったんです。それなら早くアメリカに渡り、本場でバスケットボールに打ち込もうと決めました。そして『卒業を待っていては遅い、行くなら今だ』と決意し、2年生に進級する前に退学をして渡米準備を始めました」

マイナーリーグで最高のプレーを。すべてはNBAに行くために


プロバスケットボール伊藤邦茂選手

伊藤は当初、「語学学校に通いながら現地でバスケットボールができる場所を探そう」と無計画な考えを持っていたそうだが、渡米直前に全治3か月の骨折をしてしまい、延期を余儀なくされた。伊藤は持ち前の前向きさを発揮し、入院期間を肯定的に捉え、アメリカの情報を収集し始める。日本最初のNBA解説者、あんどうたかお氏の存在を知り、コンタクトを取ることに成功した。

「あんどうさんから、オレゴン州にあるバスケット専門のキャンプ場USBAを紹介していただき、3か月間、アメリカや中国の選手と練習することができました。そのとき、アメリカの独立リーグのひとつであるIBL(国際バスケットボール・リーグ)のオーナーの西田辰巳さん(当時)に出会えたのですが、僕の人生の中で大きな節目となった出来事でした」

伊藤が日本に帰国した後、日本のバスケットボール団体のJBA(ジャパン・バスケットボール・アカデミー)が、バスケットボールチーム「Nippon Tornadoes」を結成、2009年4月よりIBLに参戦することが決定した。IBL史上初めての日本人選手たちの参戦である。その情報を知ると、伊藤はJBAにチーム入りを志願する。そして、ついに伊藤は、アメリカの地でプレーすることになる。

2009年のIBL参戦を皮切りに、2012年、2013年のシーズン途中まで「Nippon Tornadoes」でプレーした後、同じIBLのアメリカプロチーム「Salem Sabres」に移籍。2014年から2017年まではABA(アメリカン・バスケットボール・アソシエーション)のプロチーム「Kitsap Admirals」に入り、プレーした。こうしたマイナーリーグの試合シーズンは数か月間で、契約金も発生しない。アメリカの選手でさえ、本業を持ちながら選手として活動している。さらに渡米する選手は、渡航費も滞在費もすべて選手自身が用意しなくてはならない。もちろん伊藤も同様だ。それでも、マイナーリーグに参戦するのには、大きな理由がある。

「NBAに入るためには試験がありますが、誰でも受けさせてはもらえません。それ相当の実力がなければならず、その実力を認めてもらえるチャンスが、アメリカのマイナーリーグでプレーすることなんです。だから、一回一回の出場試合のすべてが真剣勝負。全試合、最初から最後まで出場できるわけではないので、自分がコートに立ったときに最高のプレーをできるかどうか。僕はNBAに行くために渡米してプレーしているので、どんなに費用がかかろうと、日本で仕事をして準備します」

また、伊藤は指導者としてもバスケットボールに関わっている。2013年に小学生・中学生を対象にしたバスケットボールスクール「トルネードアカデミー町田」を地元の東京都町田市で設立し、さらに昨年の2017年には、「トルネードアカデミー多摩」を設立した。アメリカでの経験を活かし、アメリカのトレーニング方法で個人スキルを磨く指導をしている。「日本とアメリカではバスケット指導が真逆」だと伊藤は持論を展開する。

「日本の指導は、チームが勝つために個々の選手を指導している気がします。ところが、アメリカでは、個々のスキルを伸ばすことが優先され、強い個々が集まった結果、チームが強くなるという考えです。この背景の違いには、バスケットボールが置かれている環境の違いもあると思います。アメリカでは、マイケル・ジョーダンに代表される通り、強いプレーヤーになればアメリカン・ドリームを実現できる可能性があります。だから、コーチたちも目の前の選手の能力を引き出す指導を心がけます。しかし、日本では実業団こそあれ、アメリカン・ドリームとは程遠い。この差は大きいと思いますね」

出会ってくれた人たちに恩返しするためにも夢をかなえる


プロバスケットボール伊藤邦茂選手

「20歳代前半の僕は、本当にどうしようもない人間でした」と話す伊藤に、その理由を尋ねた。

「バスケットボールが大好きで、NBA選手になることしか考えていなくて、周囲がどれだけ僕に思いをかけてくれていたかに気づきませんでした。それに、今と比べると視野が狭かったと思います。海外に出て、さまざまな人たちに出会うことができて、価値観が変わっていきました。こうして僕が大好きなバスケットボールをできていることが、どれだけ恵まれた環境なのか痛感しています。世界には貧困や、差別、内戦で苦しんでいる人たちが大勢います。こうしたことに目を向けられるようになったのも、出会ってくれた人たちのおかげです。僕が世界で活躍することで、『夢を持つことの大切さ』を子どもたちに感じてもらい、同様に夢を持ってもらえたら嬉しいですね」

伊藤に出会い、関わった人たちの夢と希望を携え、伊藤のNBAへの挑戦はこれからも続いていく。

文=佐藤美の

バスケットボール/Basketball

アスリート名

伊藤邦茂

競技名:プロバスケットボール

生年月日:1984年6月11日

出身地:東京都出身

身長・体重:168cm・63kg

趣味:YouTubeを観る、スターバックスで読書

競技名:プロバスケットボール

生年月日:1984年6月11日

出身地:東京都出身

身長・体重:168cm・63kg

趣味:YouTubeを観る、スターバックスで読書

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