ステージと観客をつなぎ、人と町をつなぐ。ダンスの力を信じる女性ダンサーが描く夢

Athlete # 11
ダンサー
金子 優

「ダンス・ダンス・アジア」でアジア代表5名に抜擢。ダンスとの出会いは中学時代に遡る

“ステージで踊る、ひとりの女の子。さっきまで隣に座って一緒に観ていたのに、あっち側に行った途端、キラキラと輝いて見えて仕方なかった――”

ロボットダンスが黄帝心仙人氏の目に留まったことで、ストリートダンスでアジアの国々との文化交流を進めることを目的としたプロジェクト「ダンス・ダンス・アジア」での舞台(振付・演出:黄帝心仙人、脚本:鈴木おさむ)でアジア代表5名に抜擢されるなど、多方面で活躍中のダンサー、金子優。そんな彼女がダンスに出会ったのは、中学1年生の冬のこと。

「私はダンスで生きていく」。そう直感するほど、目の前のステージで踊る友人の生き生きとした姿は、金子にとって衝撃的で運命的なものだった。

“運動音痴”で全く踊れず……。自主練習を重ねた日々



こうして、友人に誘われて出かけたダンスイベントがきっかけで意気揚々とヒップホップを習い始めた金子。ところが、中学生になってからダンスを始めるのは遅い方で、しかも本人いわく“運動音痴”だったため、最初は相当苦労したという。「振付が全然覚えられなくて、習い始めたばかりの頃は全く踊れませんでした」と回顧する。それでも、努力は人一倍した。

「先生の振付を録画して、その映像を見ながら家の前で毎日何時間も練習しました。それでやっと、他のメンバーの習得レベルに追いつくくらいで。『もうやめとき』『センスないで』と言われることもよくありましたね(笑)」

「負けたくない!」と持ち前の負けん気の強さが功を奏したのは間違いない。だが、それ以上に「ダンスが好き!」「絶対にダンサーになる!」といった信念があった。

「ダンスの自主練習は嫌ではありませんでした。むしろ、友だちが練習の様子を見に来てくれると快感で(笑)」

金子のエンターテイナー気質は、持って生まれた天性のものなのだ。

ダンスは国境を越える。17歳のとき、アメリカ・ロサンゼルスでワークショップを開催



自称“運動音痴”だった金子のダンスの腕前は、それからメキメキと上達。努力は裏切らないことを証明してみせた。

高校2年生の夏、転機が訪れる。ビヨンセなど世界的アーティストの振付を担当する有名振付師によるダンスプログラムへの参加が決まったのだ。動画投稿形式のオーディションを突破し、日本からは金子を含めて3名が参加したが、世界中から20名ほどしか選ばれない狭き門だった。

「このときのオーディション用の動画は、地元にある長田神社で撮影しました。着物の要素を盛り込んだ衣装を着て、自分で創作したダンスを踊ったんです。長田神社の神様が力を貸してくれたのだと思います」

しかし、胸高鳴らせて単身渡米したものの、心身ともに打ちのめされることになる。朝から夜までダンスのレッスン漬けで、深夜から始まる振付師とのリハーサルは明け方4時頃まで続いた。1か月の間、睡眠時間は毎日2時間ほどしか取れなかったという。加えて、言葉の通じない環境で、いじめの憂き目にも遭った。「そんな小さな身体で踊れるのか」。嫌味を言われていることはなんとなくわかる。心無い言葉や仕草の数々に深く傷ついた。

プログラムも終盤に差しかかり、参加者によってワークショップの開催権が争われることになった。そこで、金子はまさしくダンスで雑音をはねのけたのである。結果、見事にワークショップの開催権を獲得。振付師からは「その小さな身体のどこからパッションがあふれ出るんだ」と表現力を絶賛された。

「もううれしくてうれしくて、そのままトイレに駆け込んで号泣しました(笑)」

場所はアメリカ・ロサンゼルス「Boogiezone Utopia(ブギーゾーン ユートピア)」。そこに17歳の女子高生が立ち、現地のアメリカ人を相手にワークショップを開催したのである。

「アメリカ留学では悔しいこともいっぱいありました。けれど、この経験があったからこそ、ダンスは国籍や年齢、性別の壁を越え、人と人とがつながり合えるものなんだと実感することができたんです」

距離を置いていたはずの講師業を幼稚園で。始めた経緯に2人の人物



高校を卒業した金子は、歌手May J.のバックダンサーを務めたり、エンターテイメントイベント「UWAYA PARTY(ウワヤパーティー)」を自主開催したりするなど、ダンサーとしての活動の幅を広げていくことに注力した。ただ、誰かを指導する「講師業」だけは手をつけなかった。

「例えば、神戸で講師業を始めたとして、もし私が活動の拠点を東京などに移してしまったら、残された生徒たちはどうなるのか。そんな無責任なことはできません。そう考えていたので、現役ダンサーを引退するまでは講師業をやらないつもりでした」

現在、金子は講師としても活動している。今なお現役のダンサーだ。どんな心変わりがあったのだろうか。聞くと、そこにはある2人の人物の存在があった。

「まず、名倉みふね幼稚園の理事長さんです。子どもたちのダンスのカリキュラムを依頼された際、最初はお断りしたのですが、『現役ダンサーのあなたにお願いしたい』と仰っていただいて」

理事長からは「現役ダンサーとしての夢は、変わらずに追い続けてほしい」とも言われたそうだが、夢追う先生の背中を園児たちに見せたかったのかもしれない。そして、もう1人。

「祖母です。祖母は昔、幼稚園で給食を作る仕事に長年携わっていました。相談すると『幼稚園で働くのは、すごく良い経験になるから』と。それで決心することができました」

そうして迎えた幼稚園でのカリキュラム初日。祖母が亡くなった。

「正直、レッスンできる心理状態ではありませんでしたが、母から『おばあちゃんなら行きなさいって言うと思うよ』と言われて。初日から休むことなく、なんとかスタートを切ることができました」

幼稚園でのカリキュラムが始まって5年目。「園児たちからは学ぶことばかり」だという。

「子どもたちは、今できなくても『必ずできる』と言い切るんです。すると、本当にできるようになる。子どもたちの成長はすごいですし、私も『何事もあきらめたらいけない!』と教えられています」

理事長が作り、祖母が後押しした縁。それを今も噛み締めて、金子は園児たちに向き合っている。

目指すは、ダンサーの職業的地位向上と地元・長田の活性化



2025日本万国博覧会誘致委員会主催のコンペティションで優秀賞に選ばれるなど、その表現が高く評価される一方、レッスンや全国各地でのワークショップ、楽器演奏者と映像を駆使したセッションショーを開催し、近年の活躍は特に目覚ましい。CMの振付を担当することもあり、活動ぶりは順風満帆に映るが、その視線はいわゆる“私事”に注がれているわけではない。金子は、ダンサーの職業的地位を向上させたいと意欲的だ。

「ダンサーは、ようやくアスリートやアーティストとして認知されるようにはなってきたものの、プロ野球選手やJリーガーなどに比べて職業としての市民権を得ていません。それに、アルバイトをしながらダンスを続けているダンサーも少なくない状況です。自分自身が知名度を上げて、ダンサーを志す子どもたちが希望を持って進める環境を開拓していきたいと思います」

また、自身の知名度を上げることで大好きな地元に恩返しをしたいとも語る。この冬、地元・長田に人と地域に出会いを生む複合施設「LOO+(ループラス)」をオープンさせる予定だ。ステージや音響設備を設けた1階のカフェ&バーは、ダンスショーやライブが可能な空間に。2階のスタジオは、ダンスレッスンを中心に多種多様な目的で使用される。「LOO+」のコンセプトは「ヒトが繋がる・巡る・紡ぐ」というものだ。

「私は、心を素直に解放できるダンスに救われました。それを今も支えてくれているのは、育ててくれた地元です。私が有名になれれば、長田の町に人を集められるかもしれない。町の活性化に少しでも貢献していきたいですね」

あの冬の日、「絶対にダンサーになる!」と心に誓った女子中学生は、大人になって宣言通りに夢をかなえた。今もダンスや地元に対する深い愛情は何ら変わっていない。これからも地元・長田を拠点に、周囲を照らす太陽のような明るい人柄で、ステージと観客をつなぎ、人と町をつないでいく。

「死ぬまでダンスを続けたい」。夢は、まだまだたくさんある。

文=権藤将輝
取材協力=COFFEE Norari&Kurari(ノラリクラリ)