世界の女性に「挑戦する勇気を」!想いを胸に抱くテックボール選手

Athlete # 35
テックボール
菅原佳奈枝

栄えある第1回テックボールW杯。駆け寄る女性観客の言葉に驚く



2017年6月、ハンガリーで開催された「第1回テックボールワールドカップ」でのこと。日本代表の菅原佳奈枝が試合終了後、会場を出ようとした時、数人の女性が駆け寄ってきた。会場で観戦していた外国人女性は菅原に向かって、「この大会に出てくれてありがとう。あなたは女性の誇りよ」「あなたをリスペクトするわ」と目を輝かせながら語った。

記念すべき最初のW杯で、女性選手として参加したのは菅原ただ一人。男性同士のダブルス相手に、息の合うWASSE(シングルス、ダブルス日本代表)と共に闘った彼女の姿に、会場の女性たちは心打たれたのだ。

女性フリースタイルフットボールのパイオニア。日本テックボール協会から白羽の矢が当たる



菅原がサッカーに興味を持ったのは小学校入学前後。サッカー好きの兄ふたりの影響を受け、学校の休み時間や放課後は男の子に混じりサッカーで遊んでいた。小学校2年生になるとクラブチームに入り紅一点でサッカーに励み、小学校5年生の時に女子サッカーチームが発足して移籍した。

小学校6年生でU12、高校1年生でU15、高校2、3年生でU18の埼玉代表に選抜され、サッカーで大学からも声がかかる。同時並行で、高校3年生からフットサルを始め、25歳で「フットサル女子関東リーグ」に所属もしていた。また、高校3年生の時に、芸能人フットサルチームのオーディションを受けて合格し、JリーグやFリーグの試合で「フリースタイルフットボール」を披露するパフォーマーとして活躍することに。テックボールダブルスでペアを組むWASSEとは、同じフリースタイルのパフォーマーとして菅原が大学1年生の時に出会っている。

菅原がフリースタイルのパフォーマーで活躍し始めた当時は、女性パフォーマーは菅原ひとりといっても過言ではなく、「当時はグラビアアイドルと間違えられたり…。サッカー好きが高じて始めたことなので、『パフォーマンスで会場を沸かせよう』と、人一倍練習しました」と彼女は話す。現在、女性パフォーマーが増え、「男女関係なく高い技術があってこそエンターテイメントになる」と認識されているのは、菅原が先頭を走って開拓してきたことが大きく影響してるのだろう。

2017年4月、初めて聞く競技名の協会理事長からコンタクトがあった。
「『6月にハンガリーで第1回目のテックボールW杯があるから、日本代表として出場しませんか?』という内容のメッセージが届きました。最初は、『この人怪しい!!』って思いましたよ(笑)。でも気になったので、一度お会いしてみようと思って、日本テックボール協会の阿久津理事長とお会いすることに。そこでテックボールがどんな競技か、理事長の想いや目標などをお聞きして、『私でよければぜひ』とお引き受けすることにしたんです」

しかし、いくら始まったばかりの競技とはいえ、「日本代表」は重責である、迷いもあったと菅原は言う。「急な話でしたし、『本当に私でいいのだろうか?』という思いと、『こんなチャンスは二度とない!』という考えの中、揺れました。でも、『幾つになっても挑戦し続ける女性でいたい』というポリシーがあるので覚悟を決めました」

課題が見えた第2回W杯。揃わない練習環境を他競技で強化する試み



テックボールは、リフティングとヘディングを組み合わせて攻防し、サッカーと卓球を組み合わせたような競技だが、ダブルスの場合、そこにバレーボール要素が加わる。相手コートに3回以内でボールを返すため、バレーボールの「レシーブ、トス、スパイク」のような攻撃を二人で行う。菅原は、「ボールを受けて、相方にパスする」役を担当し、男性からの重たくて早いリフティングを正確にWASSEに送る練習を重ねた。テックボードが湾曲しているため、リバウンド後のボールの方向も予測しないといけない。その点は楕円形球技(ラグビー、アメフト)と似た要素でもある。

できる限りの練習を積み重ね、迎えた第1回テックボールW杯では、ダブルス8位という成績を収めることができた。それについて菅原はこう分析する。
「男性ペアの中で、男女ペアは日本だけ。私はパワーでは男性にどうしても劣りますが、WASSEさんとの息のあった連携は群を抜いていたと感じました。WASSEさんとはフリースタイルで一緒にパフォーマンスをしてきましたし、お互いの特徴をよく知っています。そこが、いい連携ができた要因だと思います」

大会では各国の選手とつながり、情報交換をしたそうだが、「日本がヨーロッパに比べ、テックボールの普及が遅れていることを痛感」したという。しかし、だからと言って何もできないわけではない。想定しうる攻撃を考え、1年間の準備を積み重ね挑んだ2018年10月第2回テックボールW杯はまさかの予選落ち、悔しさに唇を噛んだ。

「今回、各国が強力なヘディングで打ち込んできました。昨年まではどの国もやらなかった攻撃だったので、試合中にその攻撃に自分を修正できなかった。それが大きな敗因です。そして、今回のW杯で『受けることに特化するだけでは通用しない』とはっきり認識しました。私自身のブラッシュアップが必要」

帰国後、菅原はセパタクロのチームに参加し、練習することを始めた。
「日本はまだテックボールの練習環境が整っていません。競技性が似たスポーツの中で、自分の技術を高めていくことが強くなる近道だと思ったんです。セパタクロは技術が似ていますので、学ぶものも多いはず。これも一つの挑戦です」。きらきらした強い意志を感じる瞳で菅原は語った。

「チャレンジする勇気を世界の女性に発信したい」。挑戦する生き方を



2020年第3回テックボールW杯は、日本で開催される予定もある。テックボールの認知度や面白さを広めるチャンスでもあり、菅原の選手人生にとってもさらなるチャンスでもある。
「やるべきことはたくさんありますから、後悔しないようにしたい。それと、競技人口を増やし、日本のテックボールを強くしていきたいんです。競技人口が増えるほど、切磋琢磨ができお互い強くなりますから。そして、私以外の女性選手が増え、もっと強い選手が育っていけばいいなと思っています。もちろん、私もその中で上を目指していくつもり」

第2回のW杯では菅原含め女性が4人出場していたことが嬉しかったそうだ。
「ライバルなんですが、同性として嬉しかったですね。女性は結婚、妊娠、出産、子育て、介護などで献身的に生きることが多いのかな、と感じています。それはとても愛深い生き方だと思いますが、『やりたいことがあるけど、私には無理よ…』というお声も多く聞くんです。もし、テックボールという新競技にチャレンジしている私の姿が、女性の方々の勇気になれば嬉しいなぁと思っています。だから、これからも『チャレンジする勇気』を世界の女性に発信していきたいですね」

そして最後に、照れ臭そうに笑い「私が好きなことができるのは、家族や阿久津理事長、WASSEさん、職場の人たちなど周りの人たちのおかげ。それは当たり前じゃないって思いますし、恩返ししたいとも」と語る。明るい笑顔の下に、熱く秘めた想いのある菅原。同性として頑張ってほしいと思う。

文=佐藤美の