日本BMX界の「KING」が世界に再挑戦。オリジナルトリックで復活を期す

Athlete # 15
プロBMXライダー
森崎 弘也

日本にBMX文化を築き上げたパイオニア

BMXフラットランドワールドサーキットで初代世界王者になるなど、国際大会において何度も優勝。世界中のビデオに収録されるほど芸術的なオリジナルスタイルを持つプロBMXライダーの森崎弘也は、日本にBMX文化を築き上げた立役者のひとりでもあり、パイオニアだ。

自転車競技のひとつであるBMX・フラットランドは「自転車のフィギュアスケート」と例えられるように、ショー要素が多分にあるスポーツ。大胆かつ繊細な森崎のパフォーマンスは、トリック(技)とトリックの間のつなぎも見事に洗練されていて、スポーツとアートが融合している。彼のパフォーマンスを観ていると、目が釘付けになりワクワクする。

テレビCMで見たBMXに衝撃。独学で日本一、そして世界でも優勝を果たす



世界に名を轟かせた森崎とBMXとの出会いは、高校生だった16歳の頃。炭酸飲料『C.C.レモン』のテレビCMに起用されていたBMXをブラウン管越しに見た森崎は、自転車を縦横無尽に操るトリックに衝撃を受けた。競技の名前すら知らなかったが「とにかくカッコよかった」という。偶然にも友人がBMXに乗っていたことで、当時は販売店すらほとんどなかったBMXを扱うショップを知り、アルバイトでお金を貯めて念願のBMXを購入。夢中になって練習に励み、CMで見ただけのトリックを3週間後にはマスターした。もちろん、独学で。

「最初のトリックをマスターした後、海外の競技ビデオをショップから貸し出してもらい、何度も見返しました。真似をしては研究三昧の日々。とにかく楽しかったし、すべてが斬新でした」

そのうち、徳島県外でローカル大会が行われる情報を知り、参加のために足を運ぶように。そこで同じくBMXに魅了されたライダーたちと出会い、仲間となるのに時間はかからなかった。

「当時、日本のBMX界はまだまだ黎明期で競技人口も少なく、情報もほとんどなかった。だから、BMXで意気投合できる仲間との出会いは貴重でした」

現在、日本にプロライダーが存在するのは、森崎を筆頭に、森崎の仲間たちが切り拓いたからこその成果とも言えるだろう。

大会に出始めて3年ほどでプロ大会に出場できるまでになり、優勝や入賞を続けプロとしての階段を駆け上っていった。頭角を表した森崎は「次は世界の頂点に挑む」と目標を掲げ、本場アメリカやヨーロッパの国際大会を転戦することに。しかし、海外の国際大会では、思わぬ苦戦を強いられる。

「誤解を恐れずに言えば、当時のアメリカでは、日本人や東洋人に厳しいと思わざるを得ないジャッジを経験しました。僕だけでなく他の日本人選手もそうでしたが、実力もあって本番でも良いライディングをしているのに、なぜか落とされてしまうといったことが少なくありませんでした。今はそんなことはありませんけどね」

果敢に世界へ飛び出した先駆者にとって、そうした逆境は推進力となった。「何が何でも結果を残す」と誓いを立て、ついに2001年ドイツで行われたプロ大会で優勝。それを皮切りに数々の国際大会で優勝争いの一角に躍り出る。そして同時に、日本国内でも、全日本年間ランキング王者となる。

他の追従を許さないハードなオリジナルトリックに強いこだわり



森崎のパフォーマンスの大きな特徴は、ハードなオリジナルトリックを組み合わせた華麗なる技の数々だ。現在、その難易度から森崎のオリジナルトリックを“完コピ”できるライダーはいない。種類も豊富にあり、森崎のオリジナルトリックへの”こだわり”がうかがえる。

「世界で戦うにはオリジナルトリックは必須ですが、ひとつのトリックを完成させるのに何年もかかる場合もあります。例えばアイデアが10個ひらめいても、完成するのは1個だけ、ということもあるんです」

それだけ難易度の高い、誰もがあっと驚くトリックを生み出すことにこだわり続けている森崎だが、実は過去に苦い経験もしている。大会で披露したオリジナルトリックを、他の選手にコピーされたのだ。そのうえ、当時その選手はX-GAMEを3連覇するなど森崎より好成績を納めていたため、トリックの知名度もその選手に持っていかれてしまった。

「『真似される程度の難易度ではダメ。誰にも真似できない自分だけのトリックを作ろう』と決めました。僕のオリジナルトリックは、失敗が命取りになる大会ではハイリスク。でも、誰もやったことのないトリックで、観ている人を興奮の渦に巻き込みたい」

しかし、栄光の裏には影もある。森崎のトリックは特に腕力を要するものが多く、肘に多大な負荷がかかる。また、BMXのタイヤはハイプレッシャーで空気を入れる必要があり、弾力性など無きに等しく、衝撃をまともに身体にくらってしまう。日々の練習による疲労の蓄積で「野球肘」のような症状となり、腕の曲げ伸ばしに支障をきたしている。近年では、足首の関節に変形があり手術も。怪我との戦いでもあるのだ。

大会から離れた苦悩の5年間。KINGとして「もう一度、世界の頂点に」



プロBMXライダーのパオイニアとして業界を牽引してきた森崎は、国内外の大会賞金獲得、スポンサー契約、BMXメーカーのプロダクツ開発(世界のシェア率No.1を誇るフラットランドタイヤのデザインなど)、世界各地でのパフォーマンス出演、BMXスクール講師など、さまざまな開拓をしてきた。

しかし、2013年の絶頂期に現役引退後の人生設計も考えたという。「BMXをサポートできる事業をしたかった」と話す森崎は、静岡の自転車店オーナーから声をかけてもらい勤めることに。そのかたわら、子どもたちへの指導も継続していった。そして2016年、自転車とアパレルを扱う店舗を東京の麻布にオープン。しかし、「BMXを普及したい」思いとは裏腹に、自らの練習時間を確保できない状況が続いていた。そんな生活が5年ほど続いた2018年6月、意を決して店を離れ、森崎は故郷の徳島に戻った。

「この5年間、大会にも積極的に参加できず、満足に練習もできなくて。お店やお客さんも大事にしたいけど、プロ選手としても活躍したい。そのジレンマに悩みました」

BMXから離れ行き詰まりを感じ、一時は「引退」も頭によぎったそうだ。

「オリジナルトリックの負荷に身体がどれだけ持つのか懸念もありますが、まだ選手としてやれる手応えはある。2024年の五輪でフラットランドが正式種目になる可能性だってゼロじゃない。再び世界の頂点に立って、五輪にも出場してみたい」

こうして愛してやまないBMXに戻る決意が固まった。そして、森崎の心にはもうひとつ、熱い想いがあった。

「BMX界では『KING』と呼んでいただいています。あるインタビューで『サッカー選手の三浦知良さんのように、第一線のプロ選手としてBMXで活躍し続けたい』と話したところから愛称がつきました。その『KING』の名に恥じないような生き方を貫きたい」

KINGとして君臨するなら、成績もプロライダーとしても一流であり続けたい、という森崎の矜持だ。森崎の人生を賭けた再挑戦が始まったばかり。徳島では実家の家業に従事しながら、毎日練習に励み本来の自分自身を取り戻している。

「ここは練習に適した環境がたくさんあり、東京にいた頃より時間もある。今年は立て直しをしつつ、調子を上げていき、来年、本格的に海外の大会にも参戦していくつもりです」

やはり、森崎には青い空、クールなストリートファッション、そしてBMXが何より似合う。

プロBMXライダーが生計を立てられる社会を創りたい



現在、BMXの普及とともに、BMXは子どもたちにも身近な存在となっている。トップレベルの小学生はトリックの完成度が驚くほど高く、将来を期待できる子どもたちも多いそうだが、危惧していることもある。

「上達して国際大会で優勝や上位に食い込んでも、その先につながらないのが現状です。スポンサー契約や賞金を得たり、ショーに出場するだけで生活できるプロ選手は一握り、それではBMXは発展しません。プロBMXライダーが生計を立てられる社会を創るのも自分の役目なのではないかと思い、BMXを広める会社を設立し、スクールも含め新たな可能性を模索中です」

「BMXは人生そのもの」と少年のような透き通った瞳で語るKING森崎。観ているだけでハイテンションになる、身体能力ギリギリのオリジナルトリックで世界中を魅了し続けてほしい。

文=佐藤美の 写真=Marcio Abe(1枚目)、谷早織(その他)