”フリーアスリート”のロールモデルを目指せ!東京五輪を狙うソフトボール選手の挑戦

Athlete # 31
ソフトボール
本庄遥

直近の目標は2020年の五輪出場。ライフワークは”世界中でソフトボールが楽しめる世界の創造”



ソフトボール投手の本庄遥は、小学生でソフトボールに出会い、中学校時代に全国大会ベスト4、高校時代にはインターハイ優勝、大学では全日本インカレベスト8、関西学生ソフトボールリーグでは投手部門で防御率ゼロで最優秀賞に輝いている。また、2018年にはオーストラリアのソフトボールチームに所属し、日本人よりも体格のいいオーストラリア人と互角に戦いA2の部でチームを優勝に導き、かつ、クイーンズランド州U23の代表にまで選ばれるという実力の持ち主。

”行動力の塊”みたいなバイタリティがあり、質問をすれば、すぐに明確な答えが返ってくる本庄の直近の目標は、東京五輪出場。そして、「地球の何処ででも、ソフトボールが楽しめる世界を創りたい」と瞳を輝かせて語る。そんな本庄は、アスリートの経済的自立と時間的自由の獲得にチャレンジしている。


アスリート自身が自立できる道の開拓を。再現性のあるビジネスモデルの創出



本庄は現在、スポンサー企業が運営する、アスリートが選手価値を高めてスポンサー獲得するためのノウハウサイト『アスカツ』にて、アスリートライターとして取材記事を書き収入源としている。また、2018年には積極的にスポンサー獲得活動を展開し8社と契約した。

「私が取り組んでいる、オンライン上で収入を得ることと、スポンサーの獲得方法は、他のアスリートの方達にとっても再現性のある方法です。こうしたことが確立できれば、多くのアスリートの課題である時間の確保と経済的な自立が可能になります。私のような”フリーアスリート(どこにも所属しない選手)”の新しいロールモデルになれればと思って活動しています」

きっかけは、同年3月にオーストラリアにソフトボールのためにホームステイを始めたが、資金がショート寸前になり、資金調達が必要になったからだった。すぐにインターネットで検索し、最初にコンタクトを取ったのが『アスカツ』の運営会社・Kプロデュース株式会社の代表取締役である吉沢協平氏だったそうだ。

「吉沢社長に『御社に貢献します!私は可能性を秘めていますので、オーストラリアでソフトボールをさせてください!』と想いの丈をお話ししました」と、当時の熱量さながら熱い語り口で彼女は話す。必要に迫られてとはいえ、いきなりスポンサーを探したことに驚きを隠せずにいると、その訳も話してくれた。
「実はオーストラリア行きも、『トビタテ!留学JAPAN』という海外留学を希望する学生の支援機関に応募して実現したんです。この経験があったので、スポンサー契約を思いつきました」

1社目のスポンサー契約が成功すると、本庄はSNSを介してソフトボール関係の人たちと率先してつながっていく。目的は人脈を拡げるためと、スポンサーとの出会いを求めてということだが、本庄は「自分が相手に何を手渡せるのか」を最優先で考えながら、”想いを分かちあえる”コミュニケーションを大事にする。

「最初に相手が何を望み、何に喜んでくれるのかを考えます。そして、どんな人だったら『スポンサーになりたい』と思ってくださるのかも考えました。私はアスリートの中ではアマチュア選手ですが、トップアスリートと私とでは、発信力が違うんじゃないかと考えました。『この選手に宣伝してもらったら拡散できる』と思っていただけるのは大事なことです。だから、SNSのフォロワー数の増加とブログの情報発信の強化を決めました。
それから、選手としての私のゴールも明確にしました。12年ぶりに競技種目として復活した2020年の五輪出場がゴールです。2024年のパリでは、ソフトボールは野球とともにまだ正式種目に入っていないので、貴重なチャンスです」


「楽しいことしかしない」と決心。自分のやりたいこと=他者を幸せにできる道を追求



通常ならトップ選手であれば実業団に入団、トップ選手以外は就職後にソフトボールを辞めてしまうことが多い中、本庄は別の道を選んでいる。そこには人生で一番辛い経験と、大学時代に肩を怪我したことが大きく関わっている。

「このまま生きていても、こんなに辛いことはないと思えることがあって…。だからこの先の人生、『楽しいこと、好きなことしかしない』と決心したんです。
それから肩を怪我してしまい、投げることが困難な時期が長く続きましたが、その事実も苦しさも、誰にも打ち明けずにいました。エースの役割として、チームのモチベーションを高めることや、先頭を切って走っていく必要があると私は考えています。エースが弱いところを見せては、チームに影響がありますから。
パフォーマンスがあがらず、どうしていいか分からなかったとき、ある海外チームに呼ばれる夢を見たんです。実際にはどこにもないチームだったんですが、それをきっかけに『オーストラリアに行こう!』と決意しました(笑)」

夢を通して未来に呼ばれたのか、それとも本庄が未来を呼び寄せたのか、面白いエピソードである。さらに言葉を続けた。「辛い経験、肩の怪我、オーストラリアがあってこそ、今につながっています。今の環境を考えると、私はとても恵まれていますし、たくさん支えられています。辛い経験も怪我も悪いことのように見えますが、それも考え方次第。結局、(自分の本来歩む人生の)レールに導かれている気がしています」

「辛いことをバネに変えることは私の特技」と頼もしい表情で話す本庄は、スポンサーから支援を受けたお金を利己的な気持ちで使う気はさらさらない。「いただいたお金で『誰かを幸せにする!』と決めています。目の前の人たちに対してもそうですが、未来のスポーツ選手に貢献することもできるはず。なぜなら私の活動は、後々のスポーツの発展に寄与できると信じているからです」


「スポーツ奨学金制度をつくりたい!」。海外で学ぶ選手を輩出してスポーツ界に貢献



本庄は中長期的な目標として、「スポーツ奨学金制度」の設立を計画している。これは彼女自身の経験がベースとも言え、スポーツ留学を望む選手の支援を目的としているそうだ。

「オーストラリアは、誰にでもチャンスがあります。私は、『お金もない。英語も十分にできない。身長も低い』というように日本では不利と言える要素がありましたが、それは関係なく実績を積み上げていった結果、外国人にも関わらず、クイーンズランド州のU23の代表に選んでいただきました。
海外プレーの経験は選手の成長にもつながりますし、日本のスポーツ界の発展にもつながると思います。私のように海外でプレーしたい選手を支援する『スポーツに特化した奨学金』は今後必要だと思っています」

最後にこんなことも。「日本では『身長が低いのに、良いボールを投げられるね』とよく言われましたが、オーストラリアでは、『Harukaのボールはすごい』と私個人を見てくれる。ソフトボール投手に”身長は関係ない”ということを私が証明します」。頼もしい言葉は、決して空回りせず虚勢でないことも伝わってくる。選手として、起業家としての本庄の活躍にエールを贈りたい。

文=佐藤美の

Haru pro/Haru_pro

アスリート名

Haru pro

競技名:本庄遥

生年月日:2019/1

出身地:大阪

競技名:本庄遥

生年月日:2019/1

出身地:大阪

ソフトボール/Softball

アスリート名

本庄遥

競技名:ソフトボール

生年月日:1996年3月29日

出身地:兵庫県

身長・体重:154cm

血液型:O型

趣味:ピアノ

競技名:ソフトボール

生年月日:1996年3月29日

出身地:兵庫県

身長・体重:154cm

血液型:O型

趣味:ピアノ

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