スポーツ界への貢献と女性としての幸せの両立を目指すオリンピアン

Athlete # 34
トライアスロン
関根明子



理想は、コーチと選手がフラットな関係で結果が出せる指導者
五輪に2度出場し、日本の女子トライアスロンの牽引者でもあった関根明子が、コーチとしてトライアスロン界に復帰する準備をしている。2008年の現役引退後、子育てと並行して、国内のトライアスロン大会のゲストや解説、キッズクリニックの開催はしていたが、世界を狙う選手育成に関わることはなかった。「競技をして結果を出すのが当然」という環境から離れ、穏やかな生活を送っていた10年という月日の中で、「自分のキャリアを役立て貢献したい」という想いが募っていったという。それは彼女が理想とする「コーチと選手がお互いを敬えるフラットな関係」で選手の才能を伸ばすコーチになること。その追い風となったのは、JSCが展開する女性エリートコーチ育成事業(スポーツ庁委託事業「女性アスリートの育成.支援プロジェクト」)である。


現役引退・出産・子育てを経て、スポーツ庁の「女性エリートコーチ育成プログラム」に参加



現在は女性アスリートの活躍が注目される一方、五輪における日本代表選手団の監督・コーチ全体の女性が占める割合は国際的に比べても少なく、女性特有の視点や観点が十分に生かされていない。この「女性エリートコーチ育成プログラム」は、アスリートとしての高い競技性を持ち、かつ、女性コーチの規範となりうる人材を育成することで、女性アスリートの恒常的な競技力強化と、女性コーチのロールモデルを示す試みだ。

関根は日本トライアスロン連合から来る情報でこのプログラムを知った瞬間、「これだ」とピンと来たという。「ちょうど『本格的にコーチの勉強をしたい』と想いが募っていた時期だったので、タイミングの良さに驚きました。このプログラムは固定研修のほか、JSCに認められれば、自分が学びたい分野が学べますし、競技団体の合意が得られれば、国内外の大会や合宿に帯同もできます。子どもの保育支援もありとても柔軟」

中学までは水泳、高校で駅伝強豪校に進学した関根は、全国から集まる選手たちの中で頭角を現していく。そして、高校3年生ではほとんどの実業団からオファーが来るほど注目選手として育っていたが、足首を故障してしまう。実業団入団後もその怪我が尾を引き、3年間一度も試合に出場できず、4年目でやっと活躍しはじめると、シドニー五輪に向け選手を探していた日本トライアスロン連合の目にとまり、転向を決意。
トライアスロンでは2度の五輪出場を筆頭に、国際大会で上位の成績を叩き出していく。しかし、常に結果を求められる位置にいたことや、目標達成への強い責任感も重なり、引退前は心身ともに疲弊してしまっていた。

「子どもの頃から『スポーツが得意な資質を活かして生きていくんだ』という自覚があったので、結果を出すのは当たり前でした。だから自分を活かせる場所で頂点に立つことを目標にしていました。でも、最後の方はそれが苦しくなって。引退して『やっと普通の生活ができる』とほっとしたことを覚えています」

引退後に妊娠、出産、現在は3人の母である関根にとって、子育てに専念していた月日は至福の時間でもあり、日常の何気ない生活の中にある幸せを感じるたびに、心に活力が戻っていったのかもしれない。そして「もう一度、自分を活かして社会に貢献したい」という想いが醸成されていった。


「自立した選手」と「オリンピアン」の育成が目標



実は関根は、10年間のトライアスロン選手時代、コーチを専属で付けたのは4年間のみで、後の6年間はトレーナーと話し合ったり、トレーニングパートナーと練習をしたり、本人自らが練習やレース計画を立てていた。実業団時代を除けば、コーチと選手が24時間毎日合宿するようなスタイルはとっていない。

「実業団時代の合宿スタイル、外部コーチ、フリーなど、私自身が複数の練習環境を経験していますので、それぞれの長所と短所を理解しています。どれかが一番良い、というものではないと思いますが、選手にとって選択肢が多い方が良いのは確かだと思います」。こう語る関根は自分自身の経験も踏まえて、「女性コーチを増やすことも考慮すると、アスリート指導に変革が必要なのでは」と問題を提起する。

「ライフイベントで生活スタイルを変えざるを得ない女性にとって、24時間、選手と生活を共にするような指導方法は大きな壁です。そこを解決するスタイルを作っていきたいのです。ベストなタイミングで、的確なアドバイスを選手の心に届くように伝える。それができれば、より短い時間で質の高い指導ができるはず。それと、選手とはフラットで上下関係がなく、かつ、お互いを尊敬しあえる信頼関係を築きたいですね。それが自立した選手育成の鍵になると思います。これは女性コーチに限ったことではなく、”指導”において重要なことだと考えています」

加えて、もう一つ大きな目標を抱いている。それは、選手を世界最高峰の舞台に導くことである。「五輪を狙えるような選手を育てたいですね。様々な国際大会がありますが、トライアスロンに関して言えば、4年に1回しか開催されない五輪が最高峰です。目の前の五輪出場チャンスを失うと、次は4年後です。選手によっては一生に一度のチャンスとなりますし、その日、その時間に自分のコンディションを頂点に持っていけた選手が勝利を獲得できるんですね。そんな大きな舞台で持てる力を存分に発揮できるように導きたい」


女性選手の「引退後もスポーツ界に貢献できる」道しるべに



瞳を輝かせ、温めてきた想いを吐露する関根だが、引退後、自分の社会的存在意義に悩んだ時期もあった。「振り返ればトライアスロンの道に導かれた気がしますが、自分がやりたいことを見つけられず、どう社会復帰したらいいか迷っていた」と話す。

「子育てや介護などで職場を離れた多くの女性が、セカンドキャリアに悩まれると聞きますが、私も全く同じなんです。家庭に入り、子育て中心の生活を望んだことは確かですが、セカンドキャリアまでのブランクがあればあるほど悩むことも多くて」。
子育てに対する自分の「こうあるべき」と、「競技に捧げて得た経験」の上に成り立つセカンドキャリアとの葛藤に苦悩した時、恩師とも言える女性に背中を押してもらった。

「『もし、あなたが心からやりたいことがあるのに、それを家族のせいにして、犠牲心や何かの埋め合わせの気持ちで家庭に入っても、真に誰も幸せにすることはできない。でも、あなたがその仕事に真剣に真摯に取り組む時、家族は多少寂しい思いをするかもしれないけれど、生き生き輝くあなたを見て、そんな母を子どもは誇りに思い、あなたの放つ光でみんなを幸せにできる』と言われました。その言葉をいただき、私の覚悟が決まりました」

今、関根は自分の活動をさらに俯瞰した視点で捉えている。「現在は選手引退、結婚、出産してからコーチになる道がないので、そのロールモデルになりたいですね。そして、ハイパフォーマンスな女性選手の一つの選択肢を増やしたい、と心から願っています」。
関根の新たなる挑戦はスタートをきったばかり。女性アスリートが長期的に活躍できるスポーツ界になることを心から期待している。

文=国場みの